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Cさんの設立した不動産会社は、90年に1102億800万円を借り入れて土地を買い増すと、資産額は一時2204億1600万円に拡大したものの、地価の急落で朋年には、土地資産額は1169億9200万円に急減し、この間の金利負担と負債累計額の合計1938億7300万円を差し引くと、純資産は、何とマイナス768億8000万円と一挙に負債超過に転じてしまっているのである。 この企業は5年をかけて6848倍にした資産を一挙に喪失した上に、当初の資産1000万円の7688倍の負債、不良債権を抱え込んだことになる。
このシミュレーションにおけるCさんの場合と全く同じ状況に、日本中の多くの企業が陥ったのである。 つまり、このCさんの負債額の合計が、日本全体で10兆円ともいわれる不良債権の金額なのだ。
地価は収益還元価格になるまで下がり続ける蹄年から帥年の5年間、地価は一挙に10・1倍から172.2倍に上昇、年平均妬%の上昇が続いたのである。 この間、経済は大型平成景気といわれたものの、3・7倍から5・5倍に、年6%の成長に過ぎず、バブルのピークには、両者の問に172.2と5・5という極端な差が生まれてしまった。
含み益は巨大にはなったが、収益では実現される術を失ったのである。 この格差はバブル前のように4,5年の時間差では均衡しはしない。

バブル崩壊後経済は低迷し、事実上ゼロ成長が続いている。 今後は2,3%の成長しか期待できないという低成長時代に転換したということを考えると、この地価と経済の格差をかつてのように4,5年の時間差で均衡させることは不可能になったのだ。
仮に、これから4%の成長が続くとしても弱・5の経済が172.2の地価に追いつくには加年以上の時間が必要であり、2020年以降でないと両者は均衡しないのである。 3%なら30年、2%なら40年の時間が必要になる。
だから、経済の回復を待って解決しようとするソフトランディングはもともと不可能であり、地価は急落せざるをえなかったのだ。 バブル経済の崩壊を契機にして、いわゆる「土地神話」は崩壊し、企業の含み益経営も破綻したということを、重ねて別の角度から見てみよう。
今、土地不動産市場に構造的変化が生じていることは一目瞭然である。 1955年から90年まで45年間の地価の変動と名目経済成長との関係を見ると、85年から90年までの5年間に地価(6大都市市街地価格)は10・1倍に上昇した。
年平均3・4%の上昇を続けてきたのである。 他方、同じ期間に名目経済成長は7・7倍に、年間9・9%の成長が続いてきた。
両者の差は小さく地価が上昇しても4,5年の時間差で均衡した。 地価の上昇にその後の経済成長が時間をおいて追いつき、土地不動産市場が機能してきたのである。
地価は上昇しても購入者は将来の成長を先取りして購入することが可能であった。 含み益は時間によって実物利益に転じることができた。
しかし、バブルの時期にこの構造は壊れてしまう。 しかし、バブル崩壊後は、市場が機能するには、購入者の購入能力に合わせて売手が購入者に近づかなければならなくなった。
市場は売手市場から買手市場に転換したのである。 将来の値上がりを期待して法外な値段でも買うという時代は終わり、その土地を使って事業を行ったときに利益が出て固定資産税も払えるという時代に転じた。

合理的で妥当な価格でなければ売れるはずもない。 ピーク時に比べれば地価は大幅に下がり、含み益は消え含み損に転じているが、まだ一段の低落は避けられそうもない。
て購入してきた。 売一は機能したのである。
バブル前は、完全に売手市場、価格は供給者が決めて、購入者はローンなどで将来の収入を先取りし入手してきた。 売手に買手が擦りよることで市場短期的サイクルによるものではなく、この変化は、短期的構造的転換の帰結である。
金融の世界はこのところ異様な静けさを感じさせる。 というのも、去年、大嵐にまみえて、あまりに多くのことを経験したせいだろうか。
しかし、今は束の間の小康状態、「嵐の前の静けさ」にすぎないのではないかと危倶する。 日本経済の現状はバブルとその崩壊によってもたらされた「デフレ」で、それこそ「日本発世界恐慌」を招きかねない厳しいものだと考える。
そして、今の状況は同じように「デフレ」で苦しんだ、1930年代の大恐慌の頃のアメリカと似ていると思う。 この時も大変な金融不安が生じた。
当時、金融不安は三つの波となってアメリカを飲み込んだ。 第一88年にはKsKz、Hg銀が倒れ、95年にはT銀とYiが崩壊した。

過去の恐慌の歴史が繰り返すとしたら、さらに大きな破綻と未曾有の混乱がある1930年米大恐慌と昭和金融恐慌波は秋におこり、農業関連の融資が焦げついて地方の小さな銀行が倒産した続く第二波は28年の暮れから29年にかけて起き、この時はニューョークの大手銀行にも飛び火し、五大湖周辺の工業地帯の都市銀行も行き詰まった。 不動産や他の金融機関への過剰融資の答が出たものだった。
28年に政府は銀行に対する支援策をとったので、この年の倒産件数は半減して小康状態を保った。 しかし、金融不安の第三波はもっと深刻な形で押し寄せ、10月にはネバダ州で州全体の銀行が営業を止める、「バンク・ホリデイ」に陥った。
これがアメリカ全土に広がり、翌30年3月にはとうとうすべての州が「バンク・ホリデイ」を余儀なくされた。 それまでは個別の銀行がつぶれたにすぎなかったが、この時点で問題がいわゆる「システミック・リスク」に変わり、アメリカの金融システムそのものが事実上、崩壊した。
こうしたパターンは昭和の金融恐慌の時も同じで、初めは比較的小さな金融機関の破綻から始まり、その後、大銀行を巻き込んで全国的な混乱となった。 この時、政府は全国の銀行を二日間にわたって営業停止にするとともに、三週間の支払い停止(モラトリアム)を実施して時間を稼ぎ、ようやく沈静化した。
こんなふうに、金融不安は最終局面で大がかりな混乱に陥り、それでようやく収束している。 いったん金融システムが不安定になったら、ちょっとやそっとでは治まらないということを、私たちは肝に銘じておく必要がある。
今の日本に戻ると、1995年にKs信用組合、Kz信用組合、Hg銀行が相次いで破綻し、戦後ずっと国民に定着していた「銀行不倒産の神話」が崩れた。 これが、第一次金融不安だった。
そして、98年に第二次金融不安が起き、Ns生命、Sy証券、Ht銀行、それに、Yi証券が相次いで破綻した。 混乱の第一波は信組や第二地銀といった比較的小さな金融機関が、また、第二波は都市銀行や四大証券といった大手が破綻したように、大恐慌の時と同じ足取りをたどっている。

そして、これからだが、この時と同じような道筋を、つまり、金融システム崩壊の瀬戸際まで追いつめられるのではないかと危倶する。 95年3月期の都銀・長信銀・信託の決算は、大手銀行のうち9行が経常赤字で、惨めと言うしかないものだった。
赤字決算の背景には、T銀やYiが市場に潰された反省から、不良債権の処理に前向きに取り組んでいるという姿勢を示して、市場の歓心を引く必要があるという、切羽詰まった事情があった。

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